私自身がよく考える思考の癖みたいなものなんですが、何か失敗するたびに「自分には価値がない」って強迫観念みたいに考えるんです。
最近ある人の言葉を聞いて、もしかしたらその考え方の根底にあったものの正体に辿り着けたと思えたので紹介します。
自分には価値がないと思ってしまう正体
このブログにたどり着いた貴方は、もしかしたら人生において辛い時期を経験されているかも知れません。
「自分には価値がない」
「人の役に立っていなければ生きている資格がない」
「大きな失敗をしてしまった」
このような考えを持っておられるかも知れない。
このブログでは薬では解決できる気がしない認知の歪みについて、長年考えて私なりの答えが出たので共有して行きたいと思います。
全く同じ人はいないと思いますが、何かの参考になってくれれば嬉しいです。
そもそも自分に対する無価値観っていつから持ち始めましたか?
小さい頃から、小さな失敗を自分の中で溜め込みすぎたのかも知れない。
小さな頃大事にされなかったことを無意識に自分の中の基準にしてしまっているかも知れない。
わたしは小さい頃から漠然とした人前での恐怖心がありました。
人前で失敗したら期待に応えられなかったら(極端にいうと)殺されるのではないか、というほどに。
それは自分の性質で、自分と周りの人間は違うとどこかで思っていました。
自分自身への自信のなさから、自然と周囲のモノマネをして生きていくようになりました。
あの子はこういう話題ではこういうリアクションをしていた、この子はこういうリアクションをしていた。
そんなものを繋ぎ合わせて、つぎはぎだらけの自分自身を作っていきました。
ちゃんとした人間に見えるように、周囲の反応をみながら正解の反応を繋ぎ合わせて自我を作っていきました。
そんな日々が続くと必然的に他人といると「いいこ」でいなければならないので疲弊して、また嘘の自分を作っている後ろめたい気持ちから「こんな自分を好いてくれる人間などいない」と考えるようになりました。
自分なりの答えは
メンタルの調子を崩してから、色々な人の話を聞きいろんな自分に出会いました。
その中で自分なりの答えは
自分の中に漠然とあった無価値観の正体は、私の場合は「母を助けれなかった」という子供の頃から何度何度も刷り込まれた感情だったと思います。
私は4人兄弟で長女で子供なりに家事や下の子供の育児をがんばっていたけど、所詮は子供でできることは限られていました。
でも子供だった私には分からなくて、母が辛そうなのは全部自分のがんばりが足りないせいだと思ったんです。
がんばってもがんばっても親を楽にしてやれない自分は「無価値な人間」なんだと思いました。
最近やっとそのことに気づいて、YouTubeで見てた人が言ってくれた言葉にボロボロ泣きました。
自分でも何故こんなに悲しみが溢れてくるのか分からないくらい。
それでも自分の中の他人のために頑張り続けていた自分が、「やっと見つけてもらえた」と泣いているように感じました。
「あの時のあなたは子供で、親のフォローを全部はしきれなかったのは当然だと思います。彼らは大人で自分の人生を自分で変えていける力があると考えてみませんか? あなたにはもしかしたら不幸そうに見えたけど、彼らはあれで幸せだったです。」
そういう言葉をもらえて昔の家族と過ごした生活を振り返りました。何度も何度も考えて、少しずつ自分の中に納得させて行きました。
今まで人の人生まで自分の背中に背負い込んできたのが、なんて不可能なことをしようとしていたんだろうと思い愕然としました。
最後に
今は肩の力が抜けた気分です。
母が不幸そうでも妹が不幸そうでも、彼らには自分たちで人生を切り開ける力があると信じることにしています。
私は私の人生を一番に考えればいい。そう考えるように意識していきたいと思います。
私はアフォメーションで自己肯定感が向上して、希死念慮がマシになったので興味がある方はこちらの記事もどうぞ
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