『惡の華』などで知られる押見修造さんのマンガ『血の轍』。
究極の毒親なんて煽り文のついたこの漫画は、ある母と子の歪な関係について描かれています。
本当に押見先生の描かれる漫画は、どこか人間の深い闇の部分が表現されるのが上手で、読んでると自分自身の中にある闇に気付かされる恐ろしさがあります。
核家族化すすむ現代で、よく聞く言葉になってきた”共依存” そのことについて考えていきたいと思います。
『血の轍(ちのわだち)』親子の共依存について考える事
共依存とは?
共依存とは、自分と特定の相手がその関係に過剰に依存しており、その人間関係の囚われている関係への嗜癖状態を指します(参照 Wikipedia)愛情という名の支配とも言われています。
共依存関係に陥ると、お互いに必要不可欠な存在としての役割が強調され、個々の自己肯定感や発達が制約される可能性があります。以下は共依存のサインの一例です。
- 個々の独立性の喪失: 親子が互いに依存しすぎて、個別の興味や活動が犠牲になることがあります。
- 過度な関心: 一方が常に他方のことを気にかけ、関心を寄せることで、バランスの取れた関係が乱れる場合があります。
- 自己犠牲的な行動: 一方が自分の欲求やニーズを犠牲にし、他方のために行動することが増えることがあります。
- 感情の共有過剰: 感情の共有が過度に行われ、お互いの感情が入り混じることがあります。
- 対立回避: 問題を避け、表面的な平和を保つことで、本当の感情や意見が抑制されることがあります。
まさに血の轍の二人のことを指してるようですね。静一の少年から青年になっていく過程での親子の分離のタイミングを、ことごとく潰しにくる静子。静一の心までコントロールしようとする行動が恐ろしいですね。実際に私の周りの男の子を産んだ人が話してたんですが、出産直後に「(子供と)一つの存在のように感じた」と言っていました。多分静子は罪悪感などなく、自分の存在の一部の静一が自分とは違う存在のなるのが我慢できなかったんでしょうね。
共依存の特徴
色々な共依存のパターンがありますが、母子間で多いのはこのタイプかと思います。
お互いに自己と他者に対する境界線が曖昧で、母親は権利の侵害をしやすく、子供も権利の侵害に対しての感覚が育ちにくい。自分の一部だから子供を人ではなく庇護の多少であるから、コントロール下に置きたいと考える母親。幼少期からの慣れで、当たり前だと思っているから自分の権利が侵害されているなんて思っていない子供。
そのため相手に対する怒りや、お互いの対話が一方的で、自己犠牲の関係に陥りやすい。
共依存かどうかは「親しいはずの相手に憎しみを覚えるかどうか」というのが精神科医の先生がラインにしているというのを聞いたことがあります。
惡の華でも思ったんですが、普通に見える日常のどこか「気持ち悪さ」を感じさせる作品を描けれることが多いように思えます
それが物語にエッジを効かせているというか、読者の心になにか引っかかりになり、もっと読みたいと思わせる“押見マジック“を生んでいる気がします。
私自身も「1巻無料か…ちょっと読んでみるか…」と読み進めて気づいたら、最新話まで追いかけてしまいました^ – ^
共依存について考えること
周囲にも、過保護と揶揄されるこの親子の関係にもある共依存関係、愛情という名の支配なんて言い方もあり
相手の世話をする・世話されることで、自分の存在価値を見出し、相手を利用することで、自分の心の安定を図る関係のことを言います。
最終的にお互いがお互いの生き方を縛って、身動きが取れなくなり、ついには相手を憎むようになります。
驚くことに本来であるなら共依存は、人間が2歳くらいまでに体験する正常な感覚です。
赤ん坊が無力であるにもかかわらず、母親を使って自分の欲求を満たすことで、母親は自分の一部で、コントロールできるものと思い込んでる状態になるそうです。
正常な過程で親子の分離がなされれば、個人として存在できるようになりますが、分離がうまくなされなかったことで、大人になっても相手をコントロールしようとする癖を持った人間になっていくそうです。
それは相手を世話をして、自分なしでは存在できないように仕向けることも含まれます。
母親(静子)が一人で静一を探し回る描写もあり、もしかしたら自分自身だけでは自我を保てない状態にあったのかも知れません。
静子自身も、親との関係で正常な過程での親子の分離がなされなかったのではないかと感じました。
「血の轍」とは?
血の轍とは、のちに起こってしまった血生臭い展開を指しているのか、それとも
静子が親から受け継いだ歪な親子関係を、もしかしたらもっとその以前(静子の母)からの歪な親子関係を、脈々と受け継いでいく轍を指しているとすると心底恐ろしくなります。
参照
共依存関係を改善するには
非常に根深い問題で、自分たちが正常か間違っているかと、気づいた時には、身動きが取れなくなっていることが多いと思います。
- まずは自己犠牲・共依存関係を自覚すること
- 一人の時間を作ること
- 他のコミュニティーに入って、自分たちの事を言葉にしてみること
- 自分の中の思い込みに気づくこと
共依存相手のいない所で自分の判断で始めたことで、成功体験を積み重ねることが理想的ですが、相手との関係が苦しいなら、距離をとってみることをお勧めします。
自分自身の人生のコントロールを他人に渡さないでください。TOKIOも歌ってます。オールを渡しちゃダメなんです。
もしもう関係に苦しんでいるのなら、非常に難しいことを言っているかも知れません。
母の胃にそぐわない行動を取るのが不安かもしれませんが、どういう行動を取るかは他の誰でもないあなたの選択でいいんです。
まとめ
精神医の先生曰く
「依存の境界は、愛してるはずの相手を憎んでるかどうか」
大切であるはずの相手を憎みだしたら、それはもう正常な関係ではないんです。
家族間では周囲がどう言っても助言も聞いてくれない時もあります。距離が近すぎるから。
私自身の母と妹の関係も共依存関係です。
どんなに周りがいっても、本人たちが本当に改善しようとしなければ、どうしようもないと痛感しました。
もしあなたに身に覚えがあるのなら、どうか自分の人生のハンドルを誰かに渡すような真似はしないで欲しい、とわたしは願います。
もしよかったら、この気持ち悪くも
人間の心理にナイフを突き立てるような素晴らしく面白い漫画を読んでみてください。
参照:
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